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- 自分をアピールしていき人気放送作家へと飛躍を遂げる
- 自分のやりたいことを積極的に口にしていったことでチャンスを広げた20代前半。しかし、「チャンスを与える人も勇気がいる」ということを、今、わかってきたという。
チャンスを得るために努力し、もがいた日々
放送作家としての大きなキャリアアップのチャンスは、大学を中退した後にやって来ました。
そのころ、僕はとにかくガツガツしていて、周りの人たちに「何でもやります」って言って回っていた。とにかく、やりたいことをいろいろなところでアピールしていました。そのうち、あるフリーのディレクターが「今度TOKYO FMで新しい番組をやるんだけど、やってみる?」って言ってきたんです。それが、木村拓哉くんの番組『WHAT’S UP SMAP!』でした。
僕は、同い年の木村くんと一緒に、番組でたくさんの面白い企画を実現していきました。リスナーの反応も上々でしたね。そして僕は、木村くんたちSMAPがやるテレビの新番組『SMAP×SMAP』の作家の一人として呼ばれることになりました。そこから、フジテレビの荒井昭博さんというプロデューサーにたくさんチャンスをもらえるようになっていったんです。
僕がここまでこれたのは、年長の先輩たちの度量の大きさのお陰だとも思っているんですよ。だって、いくらアピールしていたとは言え、よくもまあ、23歳の若造にチャンスをくれる気になったなあって思うわけですよ。若手にチャンスを与えるにはすごく勇気がいる。野球だって、どんなに能力があっても監督が「こいつを使う」と決断しないと打席に立てないじゃないですか。僕は当時、それにとても感謝し、彼らに恥をかかせないように、それこそ寝ないで、死ぬほど努力をしました。根性論みたいですけど、楽しい場に居続けるには、ものすごくもがいてないといけないじゃないですか。しんどくても、それも含めて楽しいと思えるかどうかが大事でしょう。
会議では、とにかく目立たなければと思っていました。「こいつ、面白そうな奴だな」と思ってもらうことができなければ、ネタを採用してもらえないと考えていたんです。だって、同じような企画が二人から出てきたとしたら、人って、絶対に魅力がある人間の企画を選ぶでしょ? そういうことを強く意識していたんです。
だから、話題づくりのために、人のやってないことをやって興味を持ってもらおうと思ったんです。例えば、あのころ流行りはじめたSMクラブに先駆けて行ってみたのもその一つです。その体験を話すと、スタッフのみんなもタレントさんも、「このSMヤロー!」ってバカにしながら、僕という人間にすごく興味を持って接してくれました。そして思った通り、そこから自然と仕事が広がっていきました。しかも、企画や原稿そのものにも、そうした体験が血となり肉となり、いい影響が出て来ていた……。ああ、放送作家の仕事って、プライベートと仕事が一体化しているんだなあって、つくづく実感したんです(笑)。
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