『宇宙兄弟』作者・小山宙哉×宇宙飛行士・野口聡一 スペシャル対談|心の中にある“絶対”を信じて
2026年7月、約18年におよぶ物語が完結を迎えた人気漫画『宇宙兄弟』。「二人で月面に立つ」という夢を叶えるため、それぞれの壁を乗り越え、道を切り開いていく兄弟・南波六太と日々人の姿や、作中で登場する数々の名言に、多くのファンが勇気と感動をもらいました。
今回、少年時代の六太と日々人が憧れていた「野淵宇宙飛行士」のモデルであり、執筆取材にも協力していた野口聡一さんが、連載を終えたばかりの小山宙哉さんと再会! 夢との向き合い方やキャリアについて、じっくりと語り合います。
#01 再会 ~連載を終えて~
小山:野口さん、お久しぶりです。
野口:お久しぶりです、今日はよろしくお願いします。さっそくですが、小山先生が僕と最初にお会いしたときのことって覚えています?
小山:『宇宙兄弟』の連載前だったと思うので、2007年ですよね。
野口:連載前に取材をしたいということで、ヒューストン(NASA・ジョンソン宇宙センター)に来てくれたときです。僕たちの訓練施設などを訪れていて。
小山:あと、宇宙飛行士の方がよく行かれるというステーキハウスですね。
野口:そうそう、あのステーキハウス! そこでオーダーしたステーキを待っているあいだに、『宇宙兄弟』のエピソードでも登場した「3次元アリの話をしたのを覚えています。その『宇宙兄弟』も、ついにフィナーレということで。あれから足掛け20年と、すごい作品になりましたけど、改めてどうですか?
小山:まさか20年も(※連載期間は18年)続くとは思っていませんでした。作品冒頭の設定が2025年だったんですよ。2007年の当時からしたら、だいぶ近未来じゃないですか。そこまで続いているかわからない状態で始めて、気づいたら追いつかれていました(笑)。
:野口もう本当に、時代が『宇宙兄弟』に追いついたというか。残念ながら現実は思ったようには進まなかったですが、今年はなんといっても「アルテミス2」が月の反対側まで行って帰ってきました。歴史的な一歩を進めたという点で、関係者としてはすごく誇らしかったです。
小山:あれは本当にワクワクしましたね。ただ、『宇宙兄弟』はちょっと先を描いているので、現実と混同してしまう 読者の方もいたみたいで……。「月の縦穴って、もう人が行ってるよね?」みたいな混乱を生んだりしていました(笑)。でも、本当に人が月に行っているというのは、みんな興奮したと思います。
野口:そういう意味では、小山先生の描く世界が宇宙業界の羅針盤的な存在になってくれていて、すごくありがたかったです。連載が終わってしまうのは残念ではありますが、今日は改めて思い返しながら、その世界観に浸りたいと思います。

作中では「野淵宇宙飛行士」として登場している野口さん。「3次元アリ」の話とは、前後・左右に上下が加わり3次元になることで新たな世界(視野)が広がるという、宇宙開発への姿勢を例えたもの。六太は宇宙飛行士選抜試験の最中にこの話を思い出すことで、一つの答えにたどり着くことができた。

#02 夢中になれるもの
野口:1話目で登場する六太は30代のサラリーマンで、「なんでうまくいかないんだ」とウジウジしながらも、何とかして自分を変えたいという内省が描かれていました。僕が宇宙飛行士になったのも31歳なので、そういう視点で読み返すと、なんだか自分たちのことを語ってくれているような印象を受けたんです。
小山:僕自身も、かつては「漫画家になりたい」という気持ちがありながら、デザイン事務所で働いていました。デザインも好きではあるけれど、もっと自分が出せるものが漫画だろうなという思いがあって。言ってみれば、デザイン会社を辞めて、本来なりたかった漫画家に転職したみたいな感じです。なので、六太の気持ちはよくわかります。
野口:憧れとして見ていた漫画家になり、実際にその場所に立ったとき、見える景色は違うものですか?
小山:「これを一生やり続けていけるな」と言い切れるくらいの楽しさを見つけたと言いますか……。そういう意味で、デザイン事務所で働いていた頃の不安やウジウジした気持ちがなくなったという変わり方はしたと思います。
野口:漫画家を辞めたいと思ったことはないですか?
小山:そうですね。実は、初めて自分の作品を出版社に持ち込んだとき、原稿を受け取ってもらえなかったんです。結構落ち込みましたけど、落ち込みつつも辞めることはないだろうなと。「セリフが多い」と言われたので、その日の夜、泊まっていたホテルでセリフを減らす作業をして『モーニング』に持ち込んだところ、受け取ってもらえました。
野口:素晴らしい! それがまさしく今の成功体験につながっているのですね。
小山:結局、プロになってからもそういうことの繰り返しなんです。今、描いているものがダメだと感じていても「直せば良くなる。直す方法が必ずある」と、時間をかけて探っていく。なので、「もう無理だ」と投げ出すということはなく、「なんとかなる」という思考で続けてこられました。野口さんは、宇宙飛行士時代に辞めたくなるような瞬間ってありましたか?
野口:初めはNASAの宇宙飛行士訓練クラスに入れてもらうのですが、英語はまともにしゃべれないし、圧倒的に劣等生なわけですよ。訓練についていくのも大変で、その日やったことをとにかく消化して、でも次の日にはまたワーッと別のことを詰め込まれる。その連続です。
もう尻尾を巻いて荷物まとめて田舎に帰るほどなんだけど、そんなことを考える間もないくらいの日々が続いていました。かっこ悪いとか、もう宇宙飛行士というレースを辞めたほうがいいんじゃないかという気持ちにすらならないという、ある意味、鈍感さといいますか。粘り強く頑張ってついていく、そのうちレベルに達してくるというような……。これって日本人としての特性なのかなとも思いましたね。

宇宙飛行士への夢を抱き続けながらも、自分の選択に自信が持てずにいた六太。そんな彼を見守る天文学者・シャロンからの「あなたにとって一番金ピカなことは何?」という胸を打つ問いは、多くの『宇宙兄弟』ファンに語り継がれている名言の一つ。
#03 好きを仕事にする
野口:本当に好きなことをしているときって、アドレナリンが出ているとか「ゾーンに入る」とか言われることがありますが、小山先生はどうですか?
小山:原稿の前にネームというラフを描くんですけど、いいセリフとか、自分の中になかった思いもよらないものが出てくる瞬間があって。
野口:それが気持ちいい?
小山:そうですね。喫茶店とかでネームをやっていても、「いいの思いついた!」と一人でニヤニヤして。傍から見ると怪しい人ですけど(笑)。読者が読んでくれたときのことを想像して、ちょっとうれしくなります。漫画を描く喜びの一つでもあります。
野口:それは辞められないですね。お話を聞いていると、悩みとは無縁の20年だったようにも思いますけど。
小山:『宇宙兄弟』では、日々人とオリガに共通するものとして、「心の中に“絶対”がある」というワードが出てきます。これは僕自身もちょっと思っていまして。なんの根拠もないけれど「(漫画家に)絶対なるぞ!」と心の中で言い続けることで、実際に湧き上がる力や原動力につながっている気がします。
野口:根拠はないけれど「これは絶対だ」と思えるもの、ですか。
小山:そうです。もしそう思えたとしたら、夢に近づいているのではないのかなと。
野口:「好きなことを仕事にしたいけれど、なかなかうまくいかない」と思っている方もいっぱいいますよね。
小山:好きなものが見えているのだったら、 それだけでもすごいことだし、その好きなものをまずはやってみないとですよね。
僕は、やる前から悩むのってあまり意味がないと感じていて、作中でも「やってから悩みなさい」というセリフが登場します。僕自身、漫画家になってから大変さや難しさにぶち当たったし、なりたいものになってからも悩みや行き詰ることはいっぱいあるので、気にしてもしょうがないかなと。野口さんは、宇宙飛行士時代に支えになっていたものはありますか?
野口:僕は、宇宙飛行士としては全く能力も知識もない、やる気だけという状態からのスタートだったので、もう上がるしかない。伸びしろしかないというのを信じて、「昨日よりはいい。そして明日は、今日より一歩進んでいるはずだ」と、その気持ちだけで進んでいました。遠くにある大きな夢を見ることは大事ですけど、それだけだと迷ってしまうから。
小山:ちゃんと進んでいるぞ、という感覚を。
野口:強引に思い込ませていました。その手前で、やる前から悩むというのは、辞める口実を探している気がするんですね。できない理由を探し始めたら、もういくらでもありますよ。止まっているほうがラクに決まっていますから。でも、まさに自分の中の「絶対」が進めと言っている。だったら半歩でも踏み出さないと――そう考えていました。

パニック障害を患いながらも宇宙飛行士として再起を目指す日々人と、バレエダンサーとして舞台の主役を狙うオリガ。根拠や自信もないけれど、自分のなかにある「絶対」という存在。二人はそれを握りしめながら、一歩一歩、前へと進み続けた。
#04 高みを目指す人
野口:高みを目指せる人たちには、「この人すごいな」と思わせる共通点がある気がするのですが、小山先生はどう思われますか?
小山:僕が尊敬している漫画家ですと、井上雄彦先生ですね。
野口:『スラムダンク』の!
小山:すごいなと思うのが、成長をやめないこと。絵も誰より上手ですでに完成されているのに、ちょっとした部分の描き方とかを更新されていくんです。それが、ほかの人がまだやっていない手法だったりして、ラクな方向には行っていない。尊敬する部分であり、僕も真似していきたいと思っています。
野口:成長を止めないというのは、努力をされているということだと思います。この「努力」という言葉は、今、使い方が難しくて。ただ「頑張れ」という空回りする努力や、「努力って本当にいいこと?」みたいな文脈もあるので、言い方に気をつけてはいるのですが……。でもやっぱり、成長しないとダメじゃないですか。
努力って、報われるためにするのではなく、自分を底上げしていくためのもの。理想の姿があって、それに対して自分の位置が低いのなら、底上げをしていくしかなくて。それが努力なのだと僕は思います。そして、それをやり続けている人が、高みを目指せる人。
小山:井上先生のように、誰に言われるでもなく自分が求めてやっている人ですよね。できることを増やし、高みを求め続け、まだその先に成長があるということを、探りながらやっていらっしゃるのだろうなと思います。

多くの人に慕われていた伝説の宇宙飛行士・ブライアンは、どんな大きな夢でも、目の前にあるのは「バカでかいドア」ではなく、いくつもの「小さなドア」なのだと語る。高みを目指せる人とは、その小さなドアに必死で手を伸ばし、開け続けている人なのかもしれない。
#05 達成の その先へ。
野口:さて小山先生、この18年間にわたる長期連載を終えて、今、改めてどんなお気持ちですか?
小山:連載の終盤では、「納得するかたちで終わらせるのは、かなりの挑戦なのだな」と感じながら描いていました。終わりに向かっているはずなのに、どうしても描いておきたいことが出てくるという不安もあり、物語をしっかり終わらせることが僕の夢みたいになっていたので、無事に終わってほっとしたというか……。最終回も、自分の納得いくものが描けたので、満足しています。
ただ、連載が終わってからも六太と日々人のイラストを描く仕事があったりするので、物語としては完結しましたが、『宇宙兄弟』の世界とはこれからもゆっくり付き合っていくのかなと。今は休暇を楽しみつつ充電して、またおもしろいものを見つけたら描いていきたいですね。野口さんは、ミッションが終わったあとはどのような感じだったのですか?
野口:毎回、一つのミッションを終えた寂寥感(せきりょうかん)は間違いなくあります。でも、宇宙で何を学んだかとか、次の世代にどう伝えていくかという意味では、まだミッションは続いていると思っていて。小山先生のおっしゃる「六太と日々人には、また会いにいける」という感覚にも、すごく近いと思います。
小山:大変な訓練を長く続けたからこそ、ミッションが終わったときに燃え尽きてしまうことはないんですか?
野口:実は、2回目のミッションでISSでの滞在日数や船外活動の回数といった、これまでのさまざまな記録を塗り替えた時期があるんです。それでミッションが終わったときに、目標がない状態というか、燃え尽きた感覚に陥ったことはありました。
でも、そもそも自分は何のためにこの仕事をしているのかと原点に戻ったとき、「記録を塗り替えるためじゃないだろう」と。たとえこの先、自分の記録を塗り替える人が出てきても失うことのない、自分が持っている体験と、それに対する絶対的な自信と価値に気づいたんです。一度、燃え尽きというダウンを経験したからこそ、自分が「持っているもの」と「できること」を組み合わせて、新しい方向に持っていけました。小山先生は、そういう感覚はなかったですか?
小山:漫画家の場合、連載が終わると仕事をしていない状態になるようなものなので(笑)。終わらせるのが怖いという考えがよぎることはあると思います。でも、『宇宙兄弟』を描きながら学んだことは自分の力として残っているし、それを活かして何か別のこともできるだろうという自信にはなっているので、わりと楽観的な気持ちになっていますね。
野口:僕は、「燃え尽き」って別に悪いことだとは思っていなくて。完全燃焼できたというのは、幸せなことですよね。一回ちゃんと燃やしたからこそ、新たに燃料を足せるし、またいつでも火をつけられるという自信にもなる。それは、本当に素晴らしいサイクルだなと思います。

シャロンとの約束を果たし、次への意欲を失いかけていた六太の心に火を灯したのは、やはり日々人だった。「火種をなくすな」という言葉を胸に、六太は日々人と交わした「月面で会おう」という、もう一つの約束 を果たすべく走り出す。

#06 A Message for You
野口:この記事を読まれている人のなかには、自身のキャリアについて「次の一歩をどうしよう」と悩まれているケースもあるのではないかと思います。そういう方たちに向けて、小山先生からメッセージをいただければ。
小山:そうですね……。僕自身、『宇宙兄弟』が終わって、次の漫画を描くときって、転職するようなものなんですよね(笑)。
野口:今、まさに転職活動中ということですか(笑)。
小山:そんな感じです。でも、これまでにどれだけ本気でやったかによって得られるものがあって、それは自分の財産であり、将来に活かせる力になっているはず。それを持ったまま別の仕事に行くのは、不安なことではないんじゃないかなと。
野口:そうですね。努力したからといって報われるわけではないけれど、努力した自分は必ず成長していると、僕も思います。自分がありたい姿に向けて、一歩踏み出すのが大変だったら、半歩でいい。その勇気こそが「夢」だと思うし、叶うかどうかではなく、夢を持った瞬間に人は変われるはず。次の一歩を考えていること自体がもう、夢に向かって動いていることなので、ぜひその挑戦は、大事にしていただきたいなと思います。
さて、小山先生とは、ヒューストンでお会いしてから約20年になりますけれども、今日はいろいろとお話を聞けて、すごく学びが多かったです。引き続き、次の作品も期待しています。
小山:ありがとうございました。

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※文中の社名・所属等は、取材時または更新時のものです。
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